2009年1月28日水曜日

次節 マラガCFの対戦相手 アスレティック・ビルバオ




第21節、マラガCFが対戦する相手、アスレティック・ビルバオはリーガエスパニョーラの数あるチームの中でとてもユニークな存在である。
 ソシオ(会員)の数35,000人あまりを誇るこのクラブは、今ではスペイン語で得点王という意味を現すpichichiことラファエル・モレノ・アランサディ(pichichiは彼のニックネーム)や、日本でもプレーしたことのあるフリオ・サリナスが在籍したチームである。
アスレティックのあるバスク地方は独立心の強い地域であり、それを表すかのようにアスレティックの選手はバスク人(スペインバスク、フランスバスクを含む)とナバーラ人に限られている。
リーガエスパニョーラの1部リーグは開設以来、55のチームが籍を置き、昇格や降格を繰り返してきたが、アスレティックはレアル・マドリードとFCバルセロナ同様に常に1部リーグに籍を置き、2部に降格したことがない。レアルやバルサが数々の外国人選手を取って、戦力を補強しているのに対し、アスレティックは降格の危機にさらされることがあってもバスク人とナバーラ人だけに選手を限っているのである。

 リーガエスパニョーラ1部の試合の中で最多ゴールを記録した試合は、アスレティックがホームスタジアムのサン・マメスで対バルセロナと行った1931年2月8日の試合で、この試合でアスレティックはバルサ相手に12-1で大勝している。ちなみにこの試合はバルセロナが最も点を取られた試合でもある。
またこの試合の行われたアスレティックのホームスタジアム、サン・マメスはリーガエスパニョーラ開設以来、すぺてのシーズンにおいて1部リーグの試合が行われた唯一のスタジアムでもある。
このスタジアムの名前サン・マメスは聖人のひとりであるが、一説によると、彼はライオンに食べられて亡くなるという殉教を遂げたことから、アスレティックの選手たちをLos leones(ライオン)と呼ぶのだそうだ。

 ところでアスレティックもチーム開設以来長きに渡りFCバルセロナ同様ユニフォームに広告を入れることはなかったが、2008年チーム開設110年の年に初めて胸に広告を入れることとなった。また同年の3月9日の試合において初めてETA(バスク祖国と自由)の犠牲者にチームとして黙とうを捧げた。(試合の2日前に暗殺されたイサイアス・カラスコ氏のための黙とう)

 アスレティックのストイックなまでの郷土愛と、それに答えるかのようにアスレティックを愛するファンの人たち。リーガエスパニョーラの国際化が進んでも、このチームには変わらないでほしい。そう願わずにはいられない。
知れば知るほど、このチームが好きになる。

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